シャドール・ビースト

「シャドール・ビースト」の愛称で親しまれていたうちのネコが先ほど亡くなりました
本当の名前は「たあ」っていいます
母親が勝手に名付けました
カタカナなのか、ひらがななのかすらまともに決まってませんでした
名前を呼んでもまともに返事もしねえ捻くれた奴だったんで俺が名前を呼んだのはこの長い十何年間でも数十回程度でした
そんなクソみてえに捻くれた所が俺は大好きです
死んだことをブログの記事にすんのは不謹慎だとかどこぞのキチガイみてえな団体に言われるかもしれません
それでも俺は「俺が年金とかいうクソみてえな制度の金を受け取る側になったときまで生きていたとして、そのときに今日の今のこの気持ちを忘れているかもしれない」そう思ってバカみてえに恐くなりました
だから今思っていることをまとめずにそのまま書きます
ネタなんて全くないんでたぶん読んでる側はおもんないと思います
俺の滑稽な文章を笑いに来たんだったら勝手に笑っててください
ただそれをコメントとかに書きやがったらたぶん俺はキレます




一ヶ月くらい前からあいつはメシを食わなくなりました
今思えばあの頃から少し元気がなかったように思います
キャットフードを皿にぶちこんで置きっぱで好きなときに食えみたいな感じだったんで、情けないことにいつから食ってないのかすら分かりませんでした
当然、病院に連れて行くとキチガイみてえに体重が落ちてて事態の深刻さをようやく理解しました
そんで獣医曰く「ジジイバアアになったネコにはよくあること、一度こうなるとメシを食うようになるまでがクソめんどい」みたいなことを言われ謎の点滴とよくわかんねえ錠剤を処方されました
そんで飲ませてみても回復しねえからまた病院に連れて行くと体重が更に落ちてて俺はキチガイみてえに焦りました
焦ったところで素人にはどうしようもないので結局病院で治療受けさせて獣医の言う通りにするだけしかできねえと分かっててもクソほど焦りました
そんで渡されたのは注射器とくっせえ高カロリーのべちゃべちゃしたエサ
ドン引きしました
「そこまでやって勝手に命をつなぐことが本当に人間に許されることなのか」なんて柄にもなく道徳的なことを考えました
それでもやらなければ死ぬなんて幼稚園児でもすぐに分かるぐらい簡単なことです
「食わなきゃ死ぬ」当たり前です
あいつが大好きな俺は、あいつに生きていてほしい俺は道徳とかいうクソみてえなもんを無視して口に注射器をぶち込んで食わせました
意外と嫌がることなくいけしゃあしゃあと食ってて心のどこかで安心しました
そんであいつのくっせえメシをもらうために病院に通っている時、獣医が「この子と同じような症状の子がいるんやけどその子は注射器で食うのを嫌がるから体にチューブを通しました」と聞かされました
そのとき俺は安心しました、いや優越感に近い感情さえ持っていたと思います
「たあ」と同等かそれ以上に命の危機を迎えているそのしらねえネコに対して、そしてそのネコの飼い主に対してです
最低です、一瞬だけ自己嫌悪してそれでもまだ優越感に浸っていました
「うちの子は嫌がってない、大丈夫だきっと元気になる」と
不安な自分を言い聞かせるためだけに死にかけてそれでも頑張っているしらねえネコとその飼い主を見下しました
クソ以下の最低な行為です本当にすみませんでした
謝って済むようなことじゃないのは分かっています、殺されても文句は言えません
その飼い主がこのブログを見ることはおそらくないでしょうがそれでも謝らせてください
殺しにきたくなったらいつでも殺しにきてください
そんなクソみてえな考えを抱いてから数日、「たあ」が注射器での食事を嫌がるようになりました
本来なら口に注射器でぶち込まれる食事なんて食事とは呼ばないでしょう
そんなクソみてえな行為を1日に何回も続けられれば嫌がって当然です
そんな当たり前のことすらも俺は自分を安心させるために忘れていました
病院に連れて行き獣医に言われた方法は案の定、クソみてえな俺が数日前に見下したチューブでの食事でした
そのときの俺は注射器を差し出されたときの3000倍悩みました注射器なんて比じゃない「生きている」と言えるのかすら怪しいその方法にクソほど悩みました
それでも俺はまだどこかで現実逃避していました
「治療を続ければいつかは自分でメシを食うようになり、爪研ぎ板をガン無視してバカみてえに畳や庭の木で爪を研ぎやがるキチガイみてえな捻くれたあいつに戻ってくれる」
そんなマヌケな考えをまだ持っていました
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誰がどう見ても回復なんてするわけありません
今聞かれているのは「自然に死なす」か「無理矢理生き永らえさせる」のどちらかだということもたぶんどこかで分かっていました
それでも頑固で捻くれたアホな俺は治る見込みがあると無理矢理自分に言い聞かせて入院させチューブを繋ぐことを選びました
見舞いに行くとたまに食事の時間と被りそのときにクソほど嫌がるあいつを見て俺は捻くれたあいつが帰ってきたような気がして安心しました
アホです、そんなもん捻くれてなくても嫌がるのは当然です
そして入院しチューブを繋いでから数日、「夜だけでも自宅に帰してみたらどうやろう元気でるんちゃうか」と獣医に言われすぐさま頷きました
今にして思えば「最期を自宅で迎える」か「最期を病院で迎える」かを聞かれていたんでしょう
アホな俺は「元気でるんちゃうか」というバレバレの優しい嘘を嘘だとどこかで分かっていながら信じました
正直、家にあいつが居なくてどうしようもなくさびしくて気が狂いそうだった俺に断るなんて選択肢は最初からありませんでした
そして夜だけ家に連れ帰ることになった初日、俺は翌日が提出期限の課題を放置しキチガイみてえにGT6ばっかやってたのでそのツケでアホみてえに課題をやってました
すると突然母が部屋に入ってきたのでビビりながらイヤホンを外しました
嫌な予感が当たり「死んだこと」を伝えられました
その時自分がどんな気持ちだったのかどんな顔をしていたのか全く憶えてねえけどたぶんクソみてえな顔をしてただろうと思います
1階へと降り「たあ」の目の前に立ち、この状況でもまだ死んだことが嘘であると願いながら前足を握りました
当然いつもとは比べ物にならないくらい重いです
それでも諦めきれない俺は顔をつつき、体を揺さぶり、しまいには持ち上げました
クソほど痩せ細った体が力なく垂れ下がり、元気だったころよりも重く、「死んだ」という事実を嫌というほど感じ、ここで初めて俺は現実を見ました
あの感触は一生忘れないかもしれませんそれほど衝撃的でした
耐え切れなくなった俺は「たあだったもの」をたまに気が向いたら入ってたダンボール箱に入れ部屋に戻り、2時間ぐらいキチガイみたいに泣きました
ミュウツーの逆襲を観た時でさえ天秤にかけるには軽すぎるくらい泣きました
野々村とかいうキチガイでさえ比べ物にならないぐらい泣きました
ここで初めてキチガイみてえにアホな俺はあいつの存在が俺の中でどれほど大きなものだったのかにようやく気づきました
キチガイみたいに泣いた後、最初に書いた通り、今のこの悲しさを忘れるのが恐くなった俺は、あいつのことを忘れるのが恐くなった俺はどうすれば良いのか悩みブログに書くとかいうアホみてえな結論に至りました
おっさんになってもジジイになっても俺が今夜のことを忘れないことを祈ります
もし俺がキチガイになってあいつのことを忘れたときにこの記事を読むことを祈ります
大好きなあの捻くれたクソ憎たらしい雑巾みたいな柄をした罰当たりでマヌケなネコのことを俺が忘れないことを祈ります
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